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【オーストラリア】グレート・バリア・リーフ  [オーストラリア]




グレート・バリア・リーフ(英: Great Barrier Reef)は、オーストラリア北東岸に広がる世界最大のサンゴ礁地帯[1][2]。漢字表記は大堡礁(だいほしょう)。南緯10度から24度にかけて広がり、2600km(1,600マイル)を超える長さに2,900以上の暗礁群[5]と約900の島を持ち、総面積は344,400km2以上となる。地理的な位置は、クイーンズランド州沿岸の珊瑚海に存在する。

【オーストラリア】グレート・バリア・リーフ.jpg

グレート・バリア・リーフは宇宙空間からも確認できるほど広大であり、生物が作り出した単一の構造物としては世界最大である。しかし、その生物とは微小なサンゴやポリプ等の有機体であり、これらが数十億集まって形成しているサンゴ礁。そして、この暗礁は生物多様性を支える重要な役目を持ち、1981年に世界遺産に登録された。1997年、CNNはグレート・バリア・リーフを「7大世界の驚異」自然部門(英語版)のひとつに挙げ、クイーンズランド州のナショナル・トラストは州を代表する象徴に認定した。

暗礁のかなりの部分はグレート・バリア・リーフ海洋公園に指定され、漁業や観光など人間の行為が及ぼす影響を制限している。ただし、表面流出や気象変動によるサンゴの白化現象(英語版)、オニヒトデの異常繁殖など、生態系に打撃を与える環境変化が発生している。これらへの対策も取り組まれており、その統合沿岸管理 (ICM) は先端的な事例にも挙げられる。

オーストラリア先住民のアボリジニやトレス海峡諸島民たちは1万5千年前から長くグレート・バリア・リーフと共生を続け、彼らの文化や精神に多大な影響を与えてきた。ヨーロッパ人移住後は1770年のジェームズ・クックなど探検や調査が進んだ。1960年代にはグレート・バリア・リーフ内での石油掘削が認められたことを契機に賛否の論争が起こり、1970年代からは保護に向けた検討が始まった。近年は観光地としても著名となり、特にウィッツサンデー諸島(英語版)やケアンズ地区が知られる。観光収入は年10億オーストラリアドルに上り、重要な経済要素となっている。

地理と地質
グレート・バリア・リーフのクイーンズランド州海岸部衛星写真。エアリービーチとマッカイを含む箇所。グレート・バリア・リーフはグレートディヴァイディング山脈地域の顕著な特徴となっている。小さなマレー島(英語版)をその中に含んでいる。最北端の島であるブランブル・ケイ(英語版)とパプアニューギニア南海岸の間のトレス海峡から、最南端のレディーエリオット島(英語版)とフレーザー島の間の名も無き海峡まで続いている。レディーエリオット島はブランブル・ケイから南東に直線距離で1,915 km (1,190 mi)の位置にある。約900の島のうち、600は大陸起源、300はサンゴ礁を起源とする。

新生代以降、オーストラリア大陸は年間7cmの速度で北へ移動している。大陸東部は隆起を続けた時期があり、クイーンズランド州に長さ400kmにわたる分水界を形成した。この時期、活発な火山活動や玄武岩流が続き、花崗岩が露出した部分によっていくつかの島が形成された。そして構造盆地が形成されると、ここにサンゴが進出し始め、後の珊瑚海となった。しかし約2500万年前頃までクイーンズランド北部は温帯水域であったため、サンゴが繁殖するには海水は冷たかった。ここから、グレート・バリア・リーフの形成は複雑な経路をたどる。やがてクイーンズランド水域の気候は熱帯へと変わるが、同時に海深の変化も起こりサンゴ礁の成長と衰退に影響を与えた。珊瑚は直径で年間1-3cm成長するが、垂直方向の成長は年1-25cmにもなる。しかしこれには日光が欠かせず、そのために深度150m以上の場所では成長は難しい。クイーンズランドの海岸が2400万年前に熱帯気候となった頃、一部に珊瑚の成長が始まったが、グレートディバイディング山脈の浸食によって堆積作用が始まり、三角州や海盆域(英語版)およびタービダイトが形成され、それらはサンゴの繁殖には阻害要因となった。1000万年前には蓄積した堆砂が水深を下げ、さらにサンゴの成長を邪魔する土砂がかぶりにくい沖まで堆積が進んだ。ただし暗礁となるには基盤となる部分へのさらなる堆積が必要だった。40万年前には間氷期が訪れ、浅い海の海水温度は一時的に4℃ほど上昇した。


グレート・バリア・リーフ南部、珊瑚海にあるヘロン島(英語版)現在のグレート・バリア・リーフを形作る基盤となる地層は、古い暗礁や火山.の名残りなどを含む海丘の上にグレートディバイディング山脈からの堆積物が重なった開析海岸平野(英語版)である。協同リサーチセンター(英語版) (CRC)内のサンゴ礁リサーチセンターは、50万年前のサンゴ骨格による鉱床を発見した。グレート・バリア・リーフ海洋公園管理局 (GBRMPA)は、初期の暗礁は60万年前頃から形成が始まったという見解を述べ、現在生育しているサンゴ群はその上に、約2万年前から成長を始めたと考察している。オーストラリア海洋科学研究所(英語版)もこれに同意し、成長開始の時期は最終氷期最盛期(英語版)に当たり、海深も現在より120mほど浅かったと述べている。

2万年前から6000年前にかけて海水準変動によって海面は上昇した。これに伴い、サンゴは海岸平野上でより高く成長した。1万3千年前の頃、海面は現在よりも60m程低く、その頃には海岸平野の丘状部は大陸島(英語版)となり、サンゴの繁殖はその周囲で起こった。海面が上昇に転じると大陸島は水没し、サンゴは海丘上全体で成長するようになり、現在の小島や暗礁へと成長した。約6000年前から今日にかけての期間、グレート・バリア・リーフ周辺では海面上昇は起こっていない。CRCサンゴ礁リサーチセンターは、現在生育しているサンゴは8000-6000年前にサンゴ礁を形成したものが絶滅せずに繁殖しているとの見解を述べた.。リーフ形成当初のサンゴ礁と似た古代の堡礁は、西オーストラリア北部のキンバリー地域で見ることができる。

世界遺産に登録されたグレート・バリア・リーフの地域は70のエコリージョンに分けられ、うち30はサンゴ礁のエコリージョンである。北部にはリボンリーフ(英語版)や三角州堆積礁(英語版)が形成されているが、それ以外の地域には同種のものは見られず、環礁は存在しない。また、サンゴ礁がオーストラリア大陸と接触している部分もほとんど無い。

裾礁は広く見られ、特にウィッツサンデー諸島(英語版)のような島と接触して形成されたものが南域で特に顕著である。礁湖を伴うサンゴ礁(英語版)も南部で多く、北部でもプリンセスシャロット湾(英語版)沖などで発達している。中部域で最も一般的な形態は、リザード島(英語版)周辺などのような三日月礁(英語版)であり、グレート・バリア・リーフ海洋公園最北部や南緯20-22度のスウェイン礁などでも確認される。面状礁(英語版)はヨーク岬半島およびプリンセスシャロット湾からケアンズまで広く分布し、リーフ内の多くの島で発達している。


生態系
ケアンズ近郊のフリンリーフで見られる色とりどりのサンゴ類グレート・バリア・リーフは、危急種や絶滅危惧種などに相当する固有種等、多くの生命にとって安住の地でもある。

グレート・バリア・リーフのアオウミガメクジラやイルカなど30種がグレート・バリア・リーフで確認され、その中にはネズミイルカ科、ミンククジラ、ウスイロイルカ属、ザトウクジラ等も含まれる。ジュゴンの個体数も多い。

ウミガメの仲間は6種類。アオウミガメ、オサガメ、タイマイ、アカウミガメ、ヒラタウミガメ、ヒメウミガメが見つかっている。アオウミガメは集団遺伝学見地から2種類に分けられ、暗礁の北部と南部にそれぞれ生育している[37]。海草は15種あり、魚類の生息域となり、ジュゴンや亀を引き寄せる。最もよく見られる海草の属はハロフィラ(英語版)とウミジグサ属(英語版)である。

暗礁近郊の海岸線にあるマングローブや塩沼では、イリエワニが生息する。巣についての報告は無く、海洋公園では海生ワニは広範囲に生息するが、各個体は孤立気味である。サメ、アカエイ科、ガンギエイ、ギンザメ目は125種が暗礁で確認されている。軟体動物は5000種近くが確認されており、オオシャコガイ(英語版)や多様なウミウシ、イモガイ科などがいる。イシヨウジ(英語版)は49種、タツノオトシゴは9種が確認された。島部では少なくとも7種のカエルが生息する。

鳥は215種、この中には22種の海鳥と32種の海岸線に棲む鳥を含み、暗礁を巣やねぐらの場にしている。その中にはシロハラウミワシやベニアジサシも見られる。ほとんどの営巣は北部または南部の島で行われ、140から170万羽が繁殖する。また、グレート・バリア・リーフの島々は知られているだけで2195種にものぼる植物の生育地となっており、固有種も3種が見つかっている。北部の島々に繁る300から350種の植物は樹木が多く、南部の200種は草本中心という傾向がある。ウィットサンデー地区は最も植生が豊かな場所で、1141種が根付く。植物の伝播には鳥が貢献している。

ウミヘビ科は17種が水深50m未満の暖かい海水の領域に住み、北部よりも南部でよく見られる。世界遺産登録区域のウミヘビには固有種は見つかっておらず、絶滅の危惧も無い。


フリン・リーフのストライプドフィンサージョンフィッシュ魚は1500種以上が暗礁で生活し、クマノミやバラフエダイ、レッドスロートエンペラー、数種のフエダイ科やコーラルトラウト(英語版)などが知られる。49種が固まりで産卵(英語版)するが、他の84種は放卵を行う。

ホヤのなかまは少なくとも330種が水深1-10cmの暗礁に生存しており、外肛動物は300から500種がいる。

サンゴは約71属400種。イシサンゴ(英語版)の仲間もウミトサカ(英語版)の仲間も見られる。ほとんどが配偶子で生殖する種類であり、春や夏の水温上昇や月齢、および日周期の影響を受けて配偶子を一斉に放つ行動を取る。グレート・バリア・リーフでは10月に、満月の後の週にこれらが見られ、礁の外では11月や12月に行われることもある。通常のウミトサカは36種が生息する。海草や海藻は500種が暗礁で生育し、その中には石灰質(英語版)上に長さ100mにもなる群をつくり、その様子が多雨林にも比されるハリメダ(英語版)13種もある

(Quoted from Wikipedia)


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【オーストラリア】ゴールドコースト  [オーストラリア]





ゴールドコースト(Gold Coast)は、オーストラリア連邦クイーンズランド州南東部にある都市である。オーストラリア最大の観光保養地として世界的に有名。
高齢者向けの保養施設やコンドミニアム等があり、日本人滞在者も多い。

【オーストラリア】ゴールドコースト。f.jpg

歴史
約23,000年ほど前からアボリジニ(先住民)の人々が暮らしていたと思われる。

1770年5月16日、エンデバー号に乗船したキャプテン・クックがヨーロッパ人としては初めて航海でこの地の海岸を通過している。しかしこの航海の主な目的はゴールドコースト南部、ニューサウスウェールズ州北部の河川地域を調べるためであったため上陸はしなかった。

1802年、マシュー・フリンダース はニューサウスウェールズより北の地域の測量を目的とした航海でこの地の海岸を通過している。

1823年、冒険家ジョン・オクスレイがヨーロッパ人としては初めて海岸(現在のマーメイド・ビーチ)に上陸し、入植を始めた。マーメイド・ビーチの名前の由来は彼が上陸した際に乗っていたボート、マーメイド号にちなんで名づけられた。

1800年代中期、内陸に生える建築材として最適なredceder(アカスギ)は林業に携わる多くの人々を惹き付け、内陸にある現在のネラング地区は林業を中心とする町として造られた。その後、近隣の谷や平野は牧場やサトウキビ農場、綿花畑として急速に開発が進んだ。

1885年、当時のクイーンズランド州知事であるマスグレーブが現在のサウスポート地区の北に別荘を建設した。この頃からゴールドコーストはブリスベンに住む上流階級の人々の静かなリゾート地として認識されるようになる。

1889年にはブリスベンとサウスポートを結ぶ鉄道が開通しホテルなどの宿泊施設が海岸沿いに建てられるようになる。

1925年にはブリスベンとサウスポートを結ぶ道路も開通した。同じ年にブリスベンのホテル王、ジム・キャヴィル (Jim Cavill) がサウスポート地区の南、エルストン地区にサーファーズパラダイスホテルを建設。これを境に観光が盛んになる。


1930年代のゴールドコースト、バーリー・ヘッズ。この頃から観光が盛んであった。自動車が普及し始めた1930年代にはブリスベンから多くの人が観光に訪れ、沢山の別荘やホテルがサウスポート地区からニューサウスウェールズ州境にかけての海岸沿いに建設された。

1933年、サーファーズパラダイスホテルが建っていたエルストン地区は名称をサーファーズパラダイス地区に改名した。ホテルは1936年に焼失するもすぐに建て替えられ、動物園などの施設を含むアール・デコ調の巨大な建物となった。

第二次世界大戦後、州南東部の海岸は帰還した兵士達の保養地として非常に高い人気を集めていた。この頃までこの地はサウス・コースト(南海岸)と呼ばれていたが、活発な不動産投資や物価の上昇が顕著になった1940年代後半あたりから不動産投機家やジャーナリスト達の間でこの地がゴールド・コースト(金の海岸)と呼ばれるようになった。この名称の起源は諸説があり現在も議論が続けられている。しかしこの頃から一般にもゴールドコーストという名称が定着するようになる。

1950年代にも観光業は発展を続け、1958年10月28日サウスコースト町は名称をゴールドコースト町に改名する。その後1年足らずで町は市へと昇格した。

この頃からイプスウィッチなどの州南東部の内陸に住む人々からも保養地として人気を集めるようになる。

1960年代、ゴールドコーストの社会基盤は非常に大きな発展を遂げた。高層マンションなどが次々と建てられるようになり、ゴールドコースト空港が開港する1981年頃にはこの地は巨大なリゾート地としてオーストラリア中で知られるようになる。



1980年代に入ると日本の不動産業者からの投資が活発に行われるようになりさらに多くの高層マンションが建てられるようになる。

これと同じ時期にドリームワールド、シーワールド、ムービーワールド、ウェット・ン・ワイルド等のテーマパークが次々と建てられるようになり、ゴールドコーストは海外から訪れる観光客にも知られるようになった。

1980年代後半、企業の非倫理的な活動が目立ち始め、加えて財政難に陥った州政府が州外や海外からゴールドコーストへの新規の不動産投資に対して特別料金を徴収する政策等を展開し、1990年代には観光地というより経済、不動産投資の場としての側面が強く現れるようになる。

1994年、ゴールドコースト市は近隣のアルバート地区と合併することを正式に決め、アルバート地区は市の一部となった。

1995年、合併に伴い選挙が行われ3月には合併後最初の議会が開催された。

ヨーロッパ人が19世紀始めに入植を開始した当初は林業や農業などの産業が主であったが、20世紀初頭に観光地としての地位が確立して以来、ゴールドコーストの歴史は不動産投資ブームとその影の部分が色濃く刻まれてきたといえる。2005年には高さ322.5mの超高層マンションQ1が建設され、不動産投資は活況を極めている。



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地理・地形・気象
ゴールドコースト市はクイーンズランド州の州都ブリスベンの南約78キロメートルに位置する。ローガン市ビーンリー地区が北に隣接し、市内南端のクーランガッタ地区ではニューサウスウェールズ州が南に隣接している。ゴールドコーストの北から南までは約60kmある。

内陸には世界遺産にも登録されているスプリングブルック国立公園がある。市の南にあるトゥイード・ヘッズ(ニューサウスウェールズ州トゥイード)や西のビューデザート(シーニック・リム)までがゴールドコーストの一部であると認識されることもあるが市には含まれていない。

この地にはネラング川という大きな川が流れており海岸から内陸にかけての広い地域に渡って湿地帯が広がっていたが現在は人口の水路が広範囲に渡って整備されており、水路沿いに住宅が建てられている。

ビーチ
市の東部は海岸線が北から南まで約57kmにわたって広がっており、オーストラリアでも非常に人気のあるサーフポイントがいくつかある。

気象[編集]亜熱帯性気候である

(Quoted from Wikipedia)
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【オーストラリア】フレーザー島  [オーストラリア]




フレーザー島(Fraser Island)はオーストラリア・クイーンズランド州にある島で、世界でもっとも大きな砂島である。1992年、ユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録された。島はブリスベンから北に約300kmの所にあり、南北123km、幅25km、島の最高高度は240mである。島のほぼ全域がグレート・サンディ国立公園として国立公園に指定されている。


Google Mapでツアーができます。(地図で正確な位置を確認し、他に何枚かの写真があります)
http://p.tl/WWn5

【オーストラリア】フレーザー島。mSIT.jpg

概要
「フレーザー島」の名前は、キャプテン・ジェームス・フレーザーの妻でエリザ・フレーザー(Eliza Fraser)が乗船していたスターリング・キャッスル号が難破しこの島へ流れ着いたのが由来であるとされる。しかし、この話には様々なバージョンがあり、どれが正確な情報であるか分かっていない。

島の元の名前は原住民(アボリジニ)バッチュラ族による「クガリ」(K'gari)である。クガリはパラダイスを意味する。かつて島内にはバッチュラ族を始めとする600~1000人のアボリジニが住んでいたとされるが、入植者である西洋人がアボリジニを退けたため、20世紀初頭にこのアボリジニ集団は消滅した。現在では観光従事者など100人余りが島内に定住している。

フレーザー島の浜辺には難破船マヘノ号(Maheno)の残骸が打ち上げられている。マヘノは1905年にオーストラリア-ニュージーランド間を航行する客船として建造され、第一次世界大戦中にはイギリス海峡で病院船としても利用された。1935年にスクラップ処分のためメルボルンから日本へ曳航される際に強いサイクロンに遭って打ち上げられ、現在は観光スポットの一つとなっている。

フレーザー島の淡水湖は世界で最も透明度の高い湖のひとつである。有名な湖としてマッケンジー湖が上げられる。この湖も観光客のレジャースポットとなっている。砂が石英であり、かつ水は酸性を示すため、髪、歯、宝石などの洗浄に適し、また人の肌を剥離させる効果がある。石鹸やサン・オイルの使用はもとより、ここでの排尿は湖の透明度を下げるので慎むべきである。



島にあるエリー川は非常に良いレジャースポットであり、ハイキングの他、水泳を楽しむことも出来る。

観光
島全域が一般にも公開されており、観光客は海辺でのキャンプを楽しんだり、ザトウクジラやイルカの出現を見たりすることが出来る。特にハービー湾は、繁殖と子育てのために訪れるザトウクジラの観察スポットとして有名である。

ハービー・ベイやヌーサなどの近郊の街からはもとより、ブリスベンやゴールドコーストからも多数のツアーが実施されているほか、個人で訪れる観光客も多い。

島内ではキャンプ、ブッシュウォーキング、釣り、水泳などの活動が楽しめる。

交通
航路
カーフェリーで島に渡れる場所は以下の3地点である。なお、島内を走れる車は4WDのみであり、また許可が必要である。

ハービー・ベイから島の西側のムーン岬へ
ハービー・ベイ南側のリバーヘッドからキングフィッシャー湾とワンガグールバ川へ
レインボー・ビーチの北のインスキップ岬から島の南端のフック岬へ

空路
ハービー・ベイ空港とマルチドール空港より飛行機で行くことが出来る。
動物相
野鳥は350種以上確認されており、特に渡り鳥の中継地点として重要な地点でもある。また絶滅が危惧されるキジインコ(Ground Parrot)の生息地でもある。 哺乳類は47種確認されている。特に、フレーザー島は純血のディンゴの生息地としても知られ、島内には120から150頭が生息するとされている。ディンゴとの交雑を避けるためにも人間に飼われている犬の島への持ち込みは禁止されているほか、島内の動物を守るためにもペットの持ち込みは禁止されている。

一方で、2001年に男の子がディンゴに襲われて死亡する事故が起きたほか、増加した観光客との偶発的な事故がたびたび起きており、ディンゴの保護管理計画も策定されている。

(Quoted from Wikipedia)



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【オーストラリア】ボールズ・ピラミッド、ニューサウスウェールズ州  [オーストラリア]




ボールズ・ピラミッド(Ball's Pyramid)はオーストラリア・ニューサウスウェールズ州にある島の一つ。タスマン海にある火山活動で岩石で出来た小さな島で、ロード・ハウ島から約16km南の場所に位置し、高さ551mもある。

【オーストラリア】ボールズ・ピラミッド、ニューサウスウェールズ州99.jpg


この海域のなかの火山岩のみで出来た島群の中でももっとも大きいものである。ロード・ハウ島海洋公園の一部で、ロック・クライマーの一時的滞在地として知られる。1982年、ロード・ハウ島と共にユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録。

ロードハウ島で絶滅したロードハウナナフシが再発見されたことでも知られる。


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【オーストラリア】シドニー   [オーストラリア]




シドニー(Sydney)は、オーストラリア南東部、タスマン海に面するニューサウスウェールズ州の州都である。

オーストラリア最大の人口を有し、南半球を代表する世界都市及び金融センターである。2012年、アメリカのシンクタンクが公表したビジネス・人材・文化・政治などを対象とした総合的な世界都市ランキングにおいて、世界第12位の都市と評価されており、同国及び南半球の都市としては第1位であった。

【オーストラリア】シドニーx.jpg


人口は2011年時点で4,627,345人であった。都市的地域の人口は376万人であり、世界第92位、オセアニアでは第1位である。オセアニアを代表する国際的な観光都市でもあり、海に臨むオペラハウスなどが著名で、世界で最も美しいといわれる都市のひとつである。

300km南西に特別区である首都キャンベラが所在するが、経済や文化の規模ではシドニーの方が活発である。それもあってか、シドニーがオーストラリアの首都であると誤解する者も少なくない。2000年には夏季オリンピックである「シドニーオリンピック」の開催地となった。


歴史
シドニー湾沿岸には少なくとも4万年前からアボリジニが定住していた。

ヨーロッパ人の関心がこの地域に向かうのは、1770年のジェームズ・クックによるポート・ジャクソン湾の望見の後である。イギリス人による最初の入植は1788年1月20日で、アーサー・フィリップ総督によってこの「小川に近い、入り江の湾頭」はオーストラリア最初の植民地として定められた。フィリップは当初この地をアルビオンと呼ぶ意向であったが、シドニー入江に由来する「シドニー」が一般的に用いられるようになった。シドニー入江はクックの命名で、彼の後援者であったシドニー卿(シドニー子爵)トマス・タウンゼントにちなんだものである。このことは植民地開設の特許状がシドニー卿の斡旋で交付されたことに由来すると思われる。

新植民地の初期の人口は1000人を超える程度で、当地は流刑植民地であったことからその大部分は囚人であった。1822年にはすでに銀行、市場、発達した道路網、警察隊を備えた町となった。1833年、町の行政は3人の行政官の手に委ねられ、1842年には自治体となった。1847年には囚人が人口にしめる割合はわずか3.2%にまで低下した。当時シドニーにはヨーロッパより週ごとに船が来航し、イギリスや他のヨーロッパからの移民が到着した。囚人の人口が減少するにつれ、商業活動が活発化した。1850年にはオーストラリア初の大学であるシドニー大学が創設され、さらに1855年にはシドニーと西郊のパラマタとを結ぶ鉄道が開通した。1883年にはシドニー及びメルボルンを結ぶ鉄道路線が開通したものの、両植民地の鉄道軌間は異なっており、直通路線の開通は1962年まで待たねばならなかった。当初、煉瓦製造と製材に限られていた第二次産業の発展は、ニューサウスウェールズ州の自由貿易政策が現地工業の確立を阻害したため遅々としていた。1901年の連邦成立後、自由貿易政策は否定され、各州間の緊密な連携のもとに州間交易が著しい進展を示した。

シドニーは、19世紀前半まではオーストラリアの6つのイギリス植民地の中心として、名実ともに最大の都市であった。1851年にニューサウスウェールズ州およびビクトリア州で金が発見され最初のゴールドラッシュが起こると、シドニーの人口は急激に増加し、急速に工業化が進んだ。だが、ゴールドラッシュおよびイギリス本国との間の大圏航路においてメルボルンのほうが好位置であったことも加わって、メルボルンが発達の速度を速め、19世紀後半にはシドニーは第2位に後退した。この頃からシドニーとメルボルンとの間で伝統的な敵対関係が存在し、メルボルンはオーストラリアの最大都市かつ最も裕福な都市となっていた。

1901年にオーストラリア大陸の6植民地が連合してオーストラリア連邦が成立すると首都は最大都市メルボルンに置かれたものの、この頃からシドニーは再び勢いを増していき、20世紀初頭になるとシドニーはメルボルンを人口で追い越し[6]、それ以来現在に至るまでシドニーは国内最大の都市に君臨し続けている。1970~80年代、オーストラリア準備銀行やオーストラリア証券取引所と共に、シドニーのCBDは明らかに国内最大の金融都市となってメルボルンを追い抜いた。都市圏の拡大とともに人口の郊外化が進み、都市圏の西端は都心から60km以上も離れたブルーマウンテンの麓にまで達している。20世紀全体を通して見ると、第二次世界大戦後の10年間を特に顕著とし、ヨーロッパやその後のアジアからの移民が増えるにつれてシドニーの都市圏は拡大を続けた。シドニーの特徴である多様で国際的な雰囲気は、移民によってもたらされた文化が主な要因である。

(Quoted from Wikipedia)


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