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【オーストラリア】シドニー   [オーストラリア]




シドニー(Sydney)は、オーストラリア南東部、タスマン海に面するニューサウスウェールズ州の州都である。

オーストラリア最大の人口を有し、南半球を代表する世界都市及び金融センターである。2012年、アメリカのシンクタンクが公表したビジネス・人材・文化・政治などを対象とした総合的な世界都市ランキングにおいて、世界第12位の都市と評価されており、同国及び南半球の都市としては第1位であった。

【オーストラリア】シドニーx.jpg


人口は2011年時点で4,627,345人であった。都市的地域の人口は376万人であり、世界第92位、オセアニアでは第1位である。オセアニアを代表する国際的な観光都市でもあり、海に臨むオペラハウスなどが著名で、世界で最も美しいといわれる都市のひとつである。

300km南西に特別区である首都キャンベラが所在するが、経済や文化の規模ではシドニーの方が活発である。それもあってか、シドニーがオーストラリアの首都であると誤解する者も少なくない。2000年には夏季オリンピックである「シドニーオリンピック」の開催地となった。


歴史
シドニー湾沿岸には少なくとも4万年前からアボリジニが定住していた。

ヨーロッパ人の関心がこの地域に向かうのは、1770年のジェームズ・クックによるポート・ジャクソン湾の望見の後である。イギリス人による最初の入植は1788年1月20日で、アーサー・フィリップ総督によってこの「小川に近い、入り江の湾頭」はオーストラリア最初の植民地として定められた。フィリップは当初この地をアルビオンと呼ぶ意向であったが、シドニー入江に由来する「シドニー」が一般的に用いられるようになった。シドニー入江はクックの命名で、彼の後援者であったシドニー卿(シドニー子爵)トマス・タウンゼントにちなんだものである。このことは植民地開設の特許状がシドニー卿の斡旋で交付されたことに由来すると思われる。

新植民地の初期の人口は1000人を超える程度で、当地は流刑植民地であったことからその大部分は囚人であった。1822年にはすでに銀行、市場、発達した道路網、警察隊を備えた町となった。1833年、町の行政は3人の行政官の手に委ねられ、1842年には自治体となった。1847年には囚人が人口にしめる割合はわずか3.2%にまで低下した。当時シドニーにはヨーロッパより週ごとに船が来航し、イギリスや他のヨーロッパからの移民が到着した。囚人の人口が減少するにつれ、商業活動が活発化した。1850年にはオーストラリア初の大学であるシドニー大学が創設され、さらに1855年にはシドニーと西郊のパラマタとを結ぶ鉄道が開通した。1883年にはシドニー及びメルボルンを結ぶ鉄道路線が開通したものの、両植民地の鉄道軌間は異なっており、直通路線の開通は1962年まで待たねばならなかった。当初、煉瓦製造と製材に限られていた第二次産業の発展は、ニューサウスウェールズ州の自由貿易政策が現地工業の確立を阻害したため遅々としていた。1901年の連邦成立後、自由貿易政策は否定され、各州間の緊密な連携のもとに州間交易が著しい進展を示した。

シドニーは、19世紀前半まではオーストラリアの6つのイギリス植民地の中心として、名実ともに最大の都市であった。1851年にニューサウスウェールズ州およびビクトリア州で金が発見され最初のゴールドラッシュが起こると、シドニーの人口は急激に増加し、急速に工業化が進んだ。だが、ゴールドラッシュおよびイギリス本国との間の大圏航路においてメルボルンのほうが好位置であったことも加わって、メルボルンが発達の速度を速め、19世紀後半にはシドニーは第2位に後退した。この頃からシドニーとメルボルンとの間で伝統的な敵対関係が存在し、メルボルンはオーストラリアの最大都市かつ最も裕福な都市となっていた。

1901年にオーストラリア大陸の6植民地が連合してオーストラリア連邦が成立すると首都は最大都市メルボルンに置かれたものの、この頃からシドニーは再び勢いを増していき、20世紀初頭になるとシドニーはメルボルンを人口で追い越し[6]、それ以来現在に至るまでシドニーは国内最大の都市に君臨し続けている。1970~80年代、オーストラリア準備銀行やオーストラリア証券取引所と共に、シドニーのCBDは明らかに国内最大の金融都市となってメルボルンを追い抜いた。都市圏の拡大とともに人口の郊外化が進み、都市圏の西端は都心から60km以上も離れたブルーマウンテンの麓にまで達している。20世紀全体を通して見ると、第二次世界大戦後の10年間を特に顕著とし、ヨーロッパやその後のアジアからの移民が増えるにつれてシドニーの都市圏は拡大を続けた。シドニーの特徴である多様で国際的な雰囲気は、移民によってもたらされた文化が主な要因である。

(Quoted from Wikipedia)


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