【マルタ共和国】ヴァレッタ [マルタ共和国]
ヴァレッタ(Valletta)は、マルタ共和国の首都。マルタ語ではイル・ベルト(Il-Belt 「都市」の意味)と呼ばれる。人口6,300人(2005年11月現在)。マルタ島東部に位置し、港を見下ろすシベラスの丘の上にある。ホスピタル騎士団(Knights Hospitaller)の時代以降の多くの建造物が残る。一部の地域では、バロック建築・マニエリスム建築・近代建築・新古典主義建築など多様な要素も見られる。第二次世界大戦では戦禍に巻き込まれ、多くの歴史的建造物が被害を受けた。1980年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。
市名の由来
1565年にオスマン帝国からの防衛に成功した聖ヨハネ騎士団(のちのマルタ騎士団)の総長ジャン・ド・ヴァレットにちなみ命名された。聖ヨハネ騎士団での正式な都市名は、「フミリッシマ・チヴィタス・ヴァレッタ」Humilissima Civitas Valletta(最も謹ましやかなバレッタ市)であった。 その正式名とは逆に、バレッタのバロック様式の建築物の美しさや、堡塁・幕壁・半月堡や公園・教会が都市を彩る様から、欧州の上流階級の間では、バレッタは「スペルビッシマ」Superbissima(最も高貴な)都市と呼ばれるようになっていった。
のちのイギリス首相ベンジャミン・ディズレーリは1830年8月に、友人ジョージ・ゴードン・バイロンの推薦でバレッタを訪問した。ディズレーリはバレッタを『紳士が紳士のために建てた宮殿都市』と称した。
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歴 史
バレッタの礎石は、1566年3月28日、聖ヨハネ騎士団総長ジャン・ド・ヴァレットの手で、勝利の聖母に捧げられた勝利の聖母教会に置かれた。1565年のマルタ大包囲戦が終わってすぐ後に、騎士団はシベラス半島上に新都市建設を決めた。マルタにおいて騎士団の存在が磐石になるよう、効果的に騎士団の島内での本拠地が選ばれた。計画都市として都市設計は、フランチェスコ・ラパレッリが行い、最も重要とされる建物の多くはジェローラモ・カッサールが建設した。従って、バレッタには16世紀以降に建てられた建物が多い。 バレッタの都市計画はマルタ諸島では斬新なもので、不規則に曲がりくねった通りと小路のある自治体が多い中で、バレッタは格子状の街区に設計された。バレッタには排他的な制限区域も何ら設けられなかった。市門から始まる通りは広く真っ直ぐで聖エルモ砦に至る。47mの高さの砲台も建てられた。
ヴァレットは都市の完成を見届けることなく1568年8月21日に74歳で死に、勝利の聖母教会に埋葬されたが、のちに聖ヨハネ准司教座聖堂が建つと、そこへ移葬された。彼の墓は今、他の総長らの墓に囲まれている。
騎士団が島から追放され、フランスの短い支配を受けた後、イギリスの支配となり、バレッタでは都市の再建が始まった。市門は拡大され、建物は解体や再建が進み、家は増築され、公共の施設も設けられた。しかし、第二次世界大戦中のナチス・ドイツやイタリア軍の空襲で多くは損傷した。19世紀にバレッタの市の入り口として建てられた壮麗なロイヤル・オペラ・ハウスも失われた。
1980年には第24回チェス・オリンピアードを開催した。
地 勢
バレッタには2つの港がある。マルサイムシェット・ハーバーとグランド・ハーバーである。グランド・ハーバーはマルタ島の主要な港湾で、マルサイムシェット・ハーバーの方ではレガッタなども行われる。
(Quoted from Wikipedia)
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