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【オーストリア】ザルツブルグ  [オーストリア]




ザルツブルク(ドイツ語: Salzburg)は、オーストリアの都市。同名のザルツブルク州の州都である。ドイツ語で特に区別して表記する場合、ザルツブルク市はStadt Salzburg、州はLand Salzburgとする。

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郡に属さない憲章都市(Statutarstadt)であるが、ザルツブルク=ウムゲーブング郡 の郡庁が置かれている。

旧市街と歴史的建造物は、1996年ユネスコ世界遺産に「ザルツブルク市街の歴史地区」として登録された。

【オーストリア】ザルツブルク市街AT-Dr.jpg

概要
ザルツブルクは、標高424メートルに位置し、15万人の人口を擁する。すぐ南西側ではドイツ領土のベルヒテスガーデンに接し、高速道路で西に140キロの位置にミュンヘン、東300キロに首都ウィーンという位置関係や、オーストリア支配下に入ったのは19世紀以降(それまでは大司教が支配するドイツ諸邦のひとつとして、形骸化した神聖ローマ帝位を度外視すればオーストリアとは対等独立の関係だった)という歴史的経緯から、ウィーンにも増して、ドイツのバイエルン州との文化的関係が深い。

ザルツブルクは、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが1756年に誕生してから25歳まで住んでいた事で、音楽を愛する世界の人々にとっていわば巡礼地になっている。とりわけザルツブルク音楽祭の開催される夏のシーズンはホテルはどこも満員となり、モーツァルトの生家のあるゲトライデ通りはもともと狭いがなおさら狭く感じられるほどの混雑となる。 当地の空港も、「ザルツブルク・ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト空港」と名付けられている。

都市名の語源
ザルツは「塩」、ブルクは「砦」の意である。15キロほど南のバート・デュルンベルクで産出される岩塩をハライン (Hallein) 市において製塩し、大司教から特権を与えられたラウフェン(Laufen)の船乗りたちがハラインからザルツァッハ川(Salzach)を通じてヨーロッパ各地に送っていた。塩の積載量に応じた通行税をこの地の大司教が財源にしていた。このためデュルンベルクの塩が地名の語源と誤解されている。しかしドイツ語のザルツブルクの名が史料に初めて登場するのは755年頃成立した『聖ボニファティウス伝』においてである。当時のサルツブルクの司教はバイエルン公よりライヒェンハル(現ドイツ領)の塩泉および塩釜の利益の一部を与えられ、それを布教の財源としていた。よって地名の直接の由来となったのはライヒェンハルの塩であると考えられている。ライヒェンハル、ハライン、および東隣のオーバー・エースターライヒ州にあるハルシュタットの地名に使われるハルはケルト語で塩の意味があり、この一帯に分布する地下の岩塩が昔の経済を支えたという歴史がある。なお、岩塩の鉱物名Haliteも由来する。

五輪の誘致
ザルツブルクは2010年冬季五輪に立候補し、オーストリアではインスブルックに続く3度目の開催を目指したが、第1回目の投票で最下位で落選。2014年大会にも誘致活動に名乗りをあげたものの、再び第1回目の投票で最下位となり落選した。

地理
ザルツブルクは、町の中心を南から北に流れる清流ザルツァッハ川の西側に位置し、ツェントルムと呼ばれる旧市街と、川の東側に位置する新市街とに分かれる。新市街には1606年に建てられたミラベル宮殿と庭園、1776年に創設された州立劇場、1898年建造の聖アンドレ寺院、1841年に大聖堂音楽協会として始まり、1914年に音楽院となったモーツァルテウム、(現在は国際モーツァルテウム財団の建物)、ザルツブルク・マリオネット劇団が公演されているミラベル・カジノがある。マカルト広場には、モーツァルトの住居(1774年旧市街の生家から転居)や、ドップラー効果で有名なクリスチャン・ドップラーの生家もある。

マカルト小橋とシュターツ橋いずれかの橋で旧市街へ渡ると、モーツァルトの生家のあるゲトライデ通りはすぐ近くである。旧市街ではレジデンツ、すなわちザルツブルクを支配していた大司教の住居がある。レジデンツの東には2つの塔を持つドーム(大聖堂)があり、レジデンツ広場、さらにモーツァルト広場とつづく。ドームの南側には、大きなサンクト・ペーター寺院、その西隣には音楽祭に使われる祝祭大劇場、モーツァルトのための劇場(旧祝祭小劇場)、フェルゼンライトシューレ(岩壁に面した乗馬学校跡のコンサートホール)がある。

町のほとんどどこからでも見える南の高台にはホーエンザルツブルク城がある。高台はメンヒスベルクという名の丘陵で、旧市街の南側を1.3キロメートルにわたって続く高さ約50メートルの高地をなしている(一番高い場所で標高508メートル)。この城は要塞として1077年に造られ、その後拡張工事が続き、レオンハルト・フォン・コイチャッハ大司教(在位1495-1519年)の時代に大きく拡張された。兵舎又は牢獄として利用されたが、外敵に占領された事がなく、ヨーロッパ中世のものとしては完璧に保存された希な例となっている。拡張工事は最終的には1681年に竣工して今日に至っている。城へは1892年に開通したケーブルカーで登る方法と、歩いて登る道とがある。この城からの眺望は市街地側の眺望と共に、ブルクホーフ(城の中庭)と言われる南側の眺望も美しくウンタースベルク山が綺麗に見渡せる。この風景はカレンダーによく利用されている。

ケーブルカーの下の駅から東に行くと高台に1471年に完成したノンベルク尼僧院があるが、この尼僧院は古く紀元700年頃に創設されたものである。

市内旧市街やその他の歴史的建築物は、ユネスコ世界遺産に「ザルツブルク市街の歴史地区」として登録されている。

気候
ザルツブルクの気候はケッペンの気候区分で西岸海洋性気候(cfb)に属する。

(Quoted from Wikipedia)

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